ひとくち説法
2013年10月20日号
信仰する心のあり方
昔から心コロコロと言いますが、心が一定して生活することがむずかしく、その中で私たちは日々を過ごして生きていかなくてはなりません。父母先祖さまから受け継いだ、尊いいのちの呼吸。息をして、寿命持続をいただいて生かされております。息という字を見てみますと、心の上に自らと書き、心の台座に自分を正しく置いていないとバランスの取れた美しい字にならず、おのずと正しい信仰生活に繋りません。心と体がバラバラになってしまうので、正しい物の見方、正見が悟れないのであります。
日蓮聖人の言われる、体曲がれば影ななめなり、とあるように心のあり方と自分自身が正しく一体でなくては日々の信仰生活ばかりでなく、せっかくの人生もみだれ尊いいのちの一生を台無しにしてしまいます。そのための正しい教え、良きお手本、良薬すなわち正法、法華経でありお題目でありましょう。
(愛知三河布教師会長・河合海延)
2013年10月10日号
三人の旅人
東南アジアのある国の童話でこのような話があるそうです。
ある満月の夜、三人の旅人が峠の上に座って月を見ていました。一人の男は、月を観て両手いっぱいの金色に輝く黄金が欲しいと思いました。
隣に座った男は、月を観て搗(つ)き立ての餅の二つか三つでも食べたいなぁ、と思いました。
もう一人の男は、月を観て、故郷にいる愛しい人は無事であるだろうかと思いました。
同じ月を見て別々のことを思う、人の心の不思議さよ…。
人の心とは面白いもの。そのありようによって違うものに見えてくるというのは、私たちも経験することです。正しくものを見るということは、この心のありようにかかっています。くれぐれも執着する心によって正しきもの、本当のものを見失わないようにしたいものです。
(尾張布教師会長・三大寺聡温)
2013年10月1日号
父の肩車
「ポルシェ」「ベンツ」「BMW」。車は、色々あるけれど、お金と免許があれば乗れるだろう。
私の好きな車は、お金を持っていてももう二度と乗れない、違う世界が見渡せる、世界にたった一台の、父の肩車。
これは、私が教誨師をさせていただいている、少年院の院生で、幼い頃に両親が離婚し、その淋しさから非行にはしった少年の詩です。
いつの時代も、子供にとって一番の宝は親の愛情です。しかしながら、子供はその愛情に気がつかなかったり、逆にうっとうしく思えてしまうものです。法華経『如来寿量品』には、「我も亦これ父、諸の苦患を救う者なり」と、この娑婆世界の父であるお釈迦さまは、私たち子供に愛情の宝であります『法華経』を与えて頂きました。
私たちは、この教えをしっかり守り広め、安穏な社会づくりをめざして参りましょう。
(名古屋市布教師会長・伊藤 友謙)