オピニオン
2013年10月20日
信仰する心のあり方
昔から心コロコロと言いますが、心が一定して生活することがむずかしく、その中で私たちは日々を過ごして生きていかなくてはなりません。父母先祖さまから受け継いだ、尊いいのちの呼吸。息をして、寿命持続をいただいて生かされております。息という字を見てみますと、心の上に自らと書き、心の台座に自分を正しく置いていないとバランスの取れた美しい字にならず、おのずと正しい信仰生活に繋りません。心と体がバラバラになってしまうので、正しい物の見方、正見が悟れないのであります。
日蓮聖人の言われる、体曲がれば影ななめなり、とあるように心のあり方と自分自身が正しく一体でなくては日々の信仰生活ばかりでなく、せっかくの人生もみだれ尊いいのちの一生を台無しにしてしまいます。そのための正しい教え、良きお手本、良薬すなわち正法、法華経でありお題目でありましょう。
(愛知三河布教師会長・河合海延)