ひとくち説法
2013年9月20日号
数え切れないありがとう
ありがとうは「有り難し」ということ。
今、ここにあるということは、数え切れない奇跡によって紡がれて来た命であるということ。
今、ここにあるということは、数え切れない育みに汗水垂らしてくれた人がいたということ。
今、ここにあるということは、数え切れない命を糧にしてきたということ。
今、ここにあるということは、数え切れない人々が自分の知らないところで関わり、支えてくれているということ。
今、ここにあるということは、数え切れない出会いと別れがあったということ。
今、ここにあるということは、自分も誰かの「ありがとう」になっているということ。
今、ここにあるということは、誰かに「ありがとう」を伝えることが出来るということ。
数え切れないありがとうを込めて―いのちに合掌。
(岐阜県布教師会長・天田泰山)
2013年9月1日号
真の救いに繋がる登り口
日蓮聖人ご在世の頃、世は末法に入り全ての人は救いを求めていました。富士山の登り口が須走口、富士宮口、吉田口とあるように仏教の悟りを目指す登り口にも禅宗口、真言口、念仏口、法華口などあり、それぞれ悟りを目指す人に合った登り口から頂上の悟りを目指せば良いと各宗の先師は布教をしました。
しかしその中にあって日蓮聖人は法華口、題目口以外の登り口は頂上にまで繋がっておらず、途中で行くべき道を見失ってしまう。題目口しか頂上に着けず、真実の救いはないと明らかにされました。当時は全ての人が仏教という偉大な山の存在を知り、救いを待っていました。それを思うと今は、仏教という山の存在を知らず本当の救いがあることを知らない人ばかりです。
偉大な山の存在、仏の教えを知り信じている私達は登り口の違いを言う時ではなく、山の存在、仏の存在を伝えていく時なのでしょう。
静岡西部布教師会長・吉塚敬一