2013年9月9日
市原市長妙寺で入退寺式厳修
【千葉西】市原市長妙寺で九月九日、第四十一世川崎英俊師の入寺式と、六月二日に遷化した第四十世川崎堯一(静心院日光)上人の本葬儀が営まれ、僧侶檀信徒約二百五十人が参列した。
当山檀徒総代の今井靖夫宅から玄題旗を先頭に、英俊新住職を含む檀信徒、式衆の行列が出発。本堂前でお題目三唱した後、雅楽が奏でられる中、本堂で法灯継承式が行われた。
始めに土井了真宗務所長(長生村・法輪寺住職)が英俊新住職に住職承認の辞令を伝達し、持田日勇正干与人(茂原市・本山藻原寺貫首)から払子が継承された。英俊新住職は、奉告文で、「変化の人を遣わしての経文の如く素晴らしき有り難きお檀家ご信徒の方達がいたおかげで今日の当山があります。この道場を拠点とし、先師の志を継承して報恩感謝の想いを忘れることなく、『力あらば一文一句なりとも語らせ給うべし』との祖訓を奉じ異体同心、寺檀和融に励み精進する」と住職としての決意を表した。
その後、堯一上人の本葬儀が持田貫首を導師に厳修された。
堯一上人は昭和四十七年当時の長妙寺住職である西澤貫誠(常楽院日学)上人の長女と結婚し、長妙寺に寄在。同四十八年七月茂原市・法雲寺住職に就任。同四十九年二月日蓮宗加行所身延山荒行堂再行を成満。同六十三年十一月西澤師から長妙寺の法灯を継承し、月二回の信行会を始め、霊跡参拝、七面山登詣を毎年行なう等、檀信徒との交流を深め、管内では、参事、日蓮宗新聞通信員、選挙管理委員会委員長を務め、寺門の繁栄と宗門の興隆に尽力した。
地域社会にあっては、西澤貫誠師が昭和四十四年に開設した幼稚園の副園長に就任し、「手を合わせ心豊かに」をスローガンに幼児保育に力を注ぎ、保護司、青少年補導員、民生委員、児童委員等の役職を務めた。
当山では、昨年十一月二十五日に遷化した貫誠上人の本葬儀を堯一上人が喪主となり今年四月二十日に執り行なったばかりであった。