ひとくち説法
2013年8月20日号
臨終正念
「病によりて道心は起こり候か」病気になった時に、はじめて本当の自分の求めることが何か見えてくるという。「あるだけで有難いね」治ればもちろん有難いけれど、普段有難いと思わなかったことまでもが有難く思えるようになる。お釈迦さまは「あなたがここに生まれてきたのは、苦しくて、辛くて、思いがけないことばかりの多い娑婆で修行をするために自分で望んで生まれてきたんだよ。そこが娑婆の修行の尊いところだよ。いいことばかりあるのなら極楽でいいんですよ。娑婆であるがゆえに生老病死の苦しみ、矛盾の中でいかに私たちが功徳を積むことができるか。その為にあなたはここを選んで、望んで生まれてきたんだよ」と言い、これを感じた時こそ、実はこの世界こそが、お釈迦さまが見守って下さっている所であり、なおかつ、この娑婆といわれる所がお釈迦さまのおいでになる浄土であると受けとることができるのです。(故平野譲山上人説教から)
静岡県中部布教師会長 塚本智秀
2013年8月10日号
感謝が財産
最近めっきり足腰が弱くなってきた。じつにふがいない。まだ若いのに。駅まで歩いただけで、膝小僧が小犬のように震えておる。修行の足らんヤツめ。「身 の財(たから)より心のたから第一なり」と、常に自身に説き聞かせてはいるのだが、健康に自信がなくなってくると、意味のない無駄な不安が忍び寄ってく る。けしからん。
そうだ! そんな時は、お題目をたくさんお唱えしよう。耳と目が悪い。二度手術した。しかし声は出せる。尊いお題目をたくさんお唱えしよう。
足首と膝が悪い。二度手術した。今は歩ける。腕がある、二本ある。合掌できる。ありがたい。
失ったものを嘆くより、
残っているものを大切にしたい。
お題目をお唱えしていると、不平不満や不安な心を、感謝の心にかえてくださる功徳がある。
私は幸せなのだと感動できる。感謝させて頂ける。なによりそれがありがたい。
静岡県東部布教師会長 植木 和久
2013年8月1日号
仏さまの眼
最新の顔認証技術は、スマートフォンで写真を撮り検索するだけで、その人がどこの誰でどういう経歴の持ち主か即座に分かってしまうそうです。もちろんその人の写真やデータがインターネット上に何もなければ出てきませんが、多少の変装でも高い確率で判別できるとか。
今や、町中のいたる所に防犯カメラが設置され、この技術と連携すれば、防犯はもとより事件の捜査等にかなり役立つものと期待されます。
かつて地域社会が一つの共同体であった頃は、誰もがみな知り合いで、それぞれの事情もよく分かっていて、苦しい時は支え合い、楽しい時は共に喜び暮らし ていました。それが今日では、個人情報云々いうようになり、かえって犯罪を誘発しやすくなっているのではないかと思われます。
疑心が根底の技術に頼らず、信頼関係で結ばれた社会にできないものでしょうか。先ずは子供たちに「仏さまが見ているよ」と教え導きましょう。
山梨4部布教師会長 飯室 智光