ひとくち説法
2013年7月20日号
生まれてきたわけ
私が子供だった頃、母に部屋をきれいにしなさいといつも言われていました。しかし「どうせ散らかるから」と部屋の片付けをしなかった時、「食べてもすぐお腹が空くんだから食べなくてもいいの!」と、母に叱られたことがあります。すぐに片付けを始めたのはいうまでもありません。母に叱られたのはこれだけでしたので、とても印象的でした。やがて、なぜ生命(人)は死ぬのに生まれてくるのか疑問を持つようになりました。
【それから40年】信行会で使っている教本の中に「この身、今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」とあります。「度」を「悟り=幸福」ととらえれば、「私たちは、みな幸せに変わるために生まれてきた」ことに気づかされました。
変わるためには肩の力を抜いて、心静かに「南無妙法蓮華経」と唱え続けることが唯一の方法であり、一番の近道です。
(山梨県3部布教師会長 望月義文)
2013年7月10日号
他人と比べなくてもいいんじゃない
以前の教箋の言葉に「苦しめているもの それは 他人と比べている 自分自身です」というのがありました。人はどうしても他人と比べて、「自分はダメだ」と落ち込んだり、また、その反対に「おれは奴よりも勝れている」と優越感に浸ったりもするようです。実はそこから「苦しみ」が生まれるのであります。「ダメだ! ダメだ!」と悲観的になるとそれこそ自分自身が嫌になってきます。これは苦しみですね。また必要以上の優越感も、いつまでこの状態が続くのだろうかと、これまた苦しみになるのです。
私たちは、多くの人々と関わることにより、自分と他人とを比べて、自ら「苦しみの中で生かされている」と思ってしまう、そう言っていいのかもしれませんね。
他人と比べる必要ってあるのかな。自分の信念があれば、比べずとも仏さまがちゃんと見守ってくれますよ。
山梨二部布教師会長 望月 泰幹
2013年7月1日号
幸せへの近道
「幸せは喜び上手な人にゆき」とある雑誌の投稿川柳を見つけました。道端で小さな花が咲いたのを見つけ「可愛く咲いたね」と声をかけ、ご主人が食事の片付けを手伝ってくれたことに心から感謝し「ありがとう」と伝え、奥さんの手料理に「おいしかったよ」と言葉を添える。何気ない小さなことにも深い感動を覚え、当たり前の感謝の気持ちを言葉にすることが、その人の幸せにつながるのですよ、という川柳です。
そして、それは相手に対しても幸せのおすそわけをすることなのです。愚痴ばかりを聞かされて幸せな気分になれません。いやなことでも考え方・見方を変えれば自分にプラスになります。喜びを感じるには、ゆとりある豊かな清い心が必要です。生活する中で、慌ただしく時間に追われて過ごしていてはなかなか難しいものです。一度立ち止まって、深呼吸(お題目)をしてみましょう。きっと清い心が取り戻せます。
山梨一部布教師会長 筒井 治稔