2013年5月1日
我が町の国道沿いの
我が町の国道沿いの商店街はシャッター通りの様相である。小規模製造業や小売業は衰退し、農・林・漁業も高齢化が進み、山は荒れ、耕作放棄の農地も目立ってきた▼30数年前、住職として単身赴任した私は、田舎の買物の掟を知った。遠くのスーパーでなく、近くの商店で、高くても買物をしなければならないのだ。特に寺の前にある魚屋には毎日顔を出さねばならなかった。遠洋のマグロやブリがあるはずもなく、ボラやアジ等の地魚を食べていた。たまりかねて、ボンカレーを置いてもらった。カレーは楽しみだったが、ある日それが賞味期限切れになっているのに気付いた。それでも近所付き合いで食べた▼10年前、この町にも大型スーパーが進出し、とうとう魚屋も店を閉めた。その時解ったことがあった。私は季節の魚を、しかも新鮮な地魚を食べ続けていたのである。「旬」を食していたのである。しかも、あのボンカレーは、独身であった私だけのために取り寄せていたのであり、私が食べなければ売れ残ったのである▼経済の原則からすれば、田舎商売は淘汰されていくものかもしれない。しかし、経済とは「経世済民」と書く。救われていた民とは、私のことかと気付いた。気付いた時には、店はもうなかったのである▼宗教者として私には何ができるのであろう。この町に、人びとに。(雅)