2013年4月1日
徳川慶喜ゆかりの高級料亭で
徳川慶喜ゆかりの高級料亭で会合と食事をする機会があった。通されたのは大きな池のある見事な庭に面した離れだった。玄関には初老の下足番の男性がいて脱いだ履物を手際よく片付けている。食事の途中で、京都から来ていた客の一人が早めに席を立ったので、玄関まで送りに行ったところ、その客の履物だけがきちんと揃えて沓脱ぎ石の上に置いてあった▼客の足下を数秒見ただけでその客が履いて来た靴がわかるのだと下足番の男性は言った。一見の客であっても脱いだときに確認しているのだそうだ▼玄人とはこういう人を言うのだろう。私たち僧侶にこれだけの意識があるだろうかと、我が身を振り返ってしまった。読経や所作を間違えてしまうことは時にはあるのではないか▼在京の本宗寺院でのことだ。某有名女優が施主となって法要を営んだとき、出仕した僧侶の一人が間違いをおかしたが法要は進められた。終わって控え室で休んでいると女優が抗議に来た。「私たちは毎回の舞台を真剣勝負でやっているんです。お坊さんは気楽でいいですね」▼恥ずかしい限りだ。人間のすることに間違いはつきものだが、仏事に携わる玄人としての自覚が足りていたかなと今更ながら自省する。(寮)