2013年2月10日
いつもの窓際近くの
いつもの窓際近くの椅子に座り、背中にポカポカと暖かな陽射しを受けてする読書は何物にも換え難い。この冬の時季だから余計そうだ。ゆったりとできる自分専用の居場所だ▼江戸時代末期の日蓮宗教学者に金沢立像寺の優陀那院日輝師がいる。私塾充洽園を開き幾多の傑出した人材を輩出している。その中の一人に日蓮宗初代管長の新居日薩師もいた。ある時、日薩師は日輝師に「先生、あの者は日ごろより、同学僧に盗みを働いている不届きな者です。あんな者をここに置いていては先生のお名前に傷が付きますし、自分達も落ち着いて勉強していられません。直ちに追い出した方がいいと思います」と進言した。すると日輝師は「そうか。ならばお前が出て行くがいい。お前ならば、どこに居ても勉強も修行も出来るだろう。だが、あの者はここでなければ勤まらん。ここしか居場所はないのだよ」と教え諭したという▼法隆寺宮大工棟梁の西岡常一さんが「切る」ということについて、「いい面を二つ取ることです。きれいに平らに切れば、切り取られた側も、残った側も自然といい面になる。『切る』とは、美しいいのちを二つ作ることだ」と。二つとも、どちらも殺さず、生かすことの大切さを教えている▼いじめ、貧困、自殺、犯罪、そして教育、スポーツの問題の根本は人の心の問題だけではなく、家庭で、社会で、自分の居場所があるかという問題だ。(汲)