2013年2月10日
iPS細胞と生命倫理
山中伸弥京都大学教授がiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作成に平成18年、世界で初めて成功し、これが認められて昨年12月、ノーベル医学生理学賞を受賞。手術が下手で「ジャマナカ」と呼ばれていたなどと語り、人柄やユーモアにも注目が集まって、この快挙は久々の明るい話題となりました。今回の受賞は様々な細胞になれる状態にする「細胞の初期化」という基礎的な功績が評価された段階であって、まだ未知のことが多く、倫理的問題も指摘されています。この点を心掛けながら、今後の医療・経済・宗教にまで関わってくるiPS細胞について、少々記してみます。
私たち人間の体は約200種類、計60兆の細胞が集まってできています。この膨大な細胞は「受精卵」というたった1個の細胞が分裂して、体の各部分になりますが、部分になった細胞は別の部分の細胞にはなれない―これが生物学の常識でした。それを覆し、初期化したのがiPS細胞です。
人為的に皮膚などの細胞へ遺伝子を組み込み、心臓や神経など体のあらゆる細胞になれる能力を持たせたという意味の、英語の頭文字をとった名称で、山中教授が名付けました。様々な細胞になれることから、万能細胞とも呼ばれています。iだけ小文字にしたのは流行っていた携帯音楽プレイヤーiPodのように広まって欲しいとの願いをこめた、ちょっとした遊び心からです。
世界的に注目されるのは医療応用への大きな期待があるからで再生医療・難病解明・新薬開発の3つが中心。現在、研究の国際競争が激化しています。初めの再生医療とは細胞や臓器を作って移植するものです。心筋細胞を心臓に移植したり、脊髄損傷、糖尿病の治療等に期待がかかっています。また難病解明とは、難病患者からiPS細胞を作り、これを健康な人の細胞と比較すれば病気の仕組み、原因に迫れる可能性があります。そして新薬開発。原因が解明されれば治療効果のある薬を探すことが可能です。同時に副作用などの毒性検査もできることになります。残念ながら実際の応用例は未だ1件もありませんが、運動神経細胞を作り、効果のある化合物を発見したという発表もあり、この分野は最初に実用化されそうだということです。
実用化への課題は数多くあり、がん化抑制、作製効率、特許などですが、ここでは生命倫理的な問題点のみを挙げておきます。
①生命の定義 万能細胞として先行したES細胞は受精卵を壊して作るため、カトリック教会は大反対。「人の生命は受精した瞬間から始まる」と考えるからです。iPSはこの点を克服したと理解されています。生物学では細胞膜・遺伝情報・新陳代謝の3つがあることを生命の定義とします。仏教には受胎直後からの生命を説明する経典もあり、定義は一定していません。この確定が重要な一つです。
②人工的生命 生殖細胞さえも作れることから、理論上は人間の命の誕生も可能です。霊の存在、親は誰なのかなどの問題があります。人間をモノのように「作る」と考えるのではなく、尊厳を守らなければなりません。
③生命の格差 実用化になると、初めは高額医療費が予想されます。健康を支えるのは経済力の差と誤解されてしまいそうです。
④生活習慣 病気の多くは生活習慣病です。安易に移植や薬に頼るのではなく、生活習慣を正す、自らの努力こそ必要です。
⑤個人情報保護 iPS細胞は個人の遺伝情報が沢山あり保護、管理が大切です。
(論説委員・山口裕光)