ひとくち説法
2013年1月20日号
浄土は作り上げていくもの
「きよい」という漢字には「清」と「浄」があります。では何故「清土」ではなく「浄土」と呼ぶのでしょうか。
清の字は青い水と書き、清流のように元々きよらかなものを意味します。浄は浄化のように、穢れたものをきよくするという意味があります。浄土の反対語は穢土です。穢れとは「気枯れ」が語源で精神的に弱ること、うまくいかないことを言います。浄土とは精神的に充実した世界のことを示しています。また浄の字はサンズイに争うです。争うという字には訴える・諫めるという意味があり、間違った考えには決して従わず、正すということです。全ての人々が話し合い、努力・協力して作り上げていくのが浄土なのです。
ゆえに日蓮聖人は「浄土と穢土、それはただ私たちの心の善悪によるのだ。心を清浄にすることによって浄土が顕現する。お題目でしっかり心を磨きなさい」と示されておられるのです。
北海道北部布教師会長 香川 一乗
2013年1月10日号
雨の朝参り
その日の朝は、未明からドシャブリであった。団参での本山の朝勤で、遅れて参拝にきた60歳過ぎと思われる女性の姿が目に入る。私の目の前の座布団の後ろに膝を落とすと、おもむろにバッグの中からビニールの風呂敷を取り出して座布団に敷き、きちっと正座をしてその上に座った。
その方は、当然傘を差し、長靴も履いてきたことだろう。更にはコートも着てきたと思われる。しかし、今日のこの強い雨ではそれでも膝から下が濡れるだろうと思って、自宅を出るときにビニールの風呂敷をバッグに入れてきたのだ。座布団を濡らさないために。干す手間を掛けさせないために。物を大事にする心、人そして物への感謝の心が伝わってくる。
「人への思いやりの心、心を配るとはこういうことだ」「お題目を唱えると、このような気持ちになれるぞ」と教えてくれた「雨の朝参り」に感謝した。
北海道南部布教師会長 山本 光明
2013年1月1日号
一年の計は元旦にあり
「正月太り」という言葉があります。私が通っているスポーツクラブの、正月休み明けのサウナ室の中で必ず囁かれる言葉です。
毎年様々なダイエットが流行し、キウイやバナナ、トマト等が店頭から消えたりしますが、ダイエットとは本来「健康的な体型になるための療法または食事そのもの」を指す言葉で、健康で充実した生活を目指し行うものであります。
何をするにしても、その出発点と目的を確かめておくことは大切です。
「一年の計は元旦にあり」と申しますが、正月には仏壇の前に集い新年の計画を語り合い、その時抱いた抱負を互いに披露し仏様、お祖師様そしてご先祖に証人になっていただきましょう。
仏様は人びとが、それぞれの道を歩んでいるか、いないかをよくご存知で、それぞれにかなった教えを示し、かた時も休むことなく、全ての人が無上の仏の道に入ることを念じておられます。
北海道西部布教師会長 宇賀神光章