2012年12月10日
「あゝ全くたれが賢く…」
「あゝ全くたれが賢く、たれが賢くないかはわかりません」。これは宮沢賢治の短編童話『虔十公園林』の一節▼虔十はおかしくもないのに笑ってばかりで知恵が足りないと、周囲に馬鹿にされている少年。家の裏手に700本の杉苗を植えたいと言い出す。初めてのわがままだ。後に杉林となり子供達の恰好の遊び場所になる。20年後、ここで遊んでいた子どもが、アメリカの教授になって帰省したとき、虔十の林はそのまま残り子ども達の遊び場になっているのを見る。自分の子ども時代を思い出し、育んでくれた林の重要性を悟り冒頭の言葉となった▼お檀家で軽度の知的障害のあるA君が郵便局の自動預金機の前で、車椅子の高齢者のそばに立ち手伝っている姿を見た。その後彼は当たり前のように、鼻歌交じりでその車椅子の人に付き添って家まで送っていった。後日、母親は「そうなんです。そんなこと何も言わない子なんです」といっていた。彼は自転車で町内を回るのが日課だ。パトロールしているのだ。きっとその時に車椅子の人が困っているのに気づき、手を差し伸べたのだろう。そう、彼は吹聴したり自慢などはしない。彼にとっては当たり前のことなのだ。本当に「たれが賢いかわからない」▼お祖師様の立正安国の世界も、宮沢賢治のイーハトーブという理想郷も、こんな暖かい風がお互いの心に吹き合う世界なのだろう。(汲)