日蓮宗新聞
2011年5月20日号
大震災被災 四十九日忌法要
「復興を支援し、物故者の冥福を祈っていきたい」
3月11日の東日本大震災から49日目にあたる4月28日、日蓮宗では大震災被災物故者追悼の四十九日忌法要を行うことを海外寺院を含めた全国寺院、教会、結社に呼びかけた。当日は日蓮聖人が清澄寺旭が森で立教開宗をされたご聖日にあたり、各地で立教開宗会や千部会が営まれるなか、大震災発生時刻の午後2時46分を中心として犠牲者への回向が捧げられた。また今なお苦難の続く被災者の安寧、被災地の早期復興も祈願された。
渡邊照敏宗務総長の自坊である市川市法蓮寺では、午後2時から堂内から溢れるほどの檀信徒とともに物故者へのお題目が唱えられた。渡邊宗務総長は挨拶で、未曾有の大震災のなかで、現在日蓮宗の宗務総長を務めていることは、自身が日蓮聖人から与えられたご下命と受け止めているとし、「多くの宗門寺院や檀信徒が今なお苦難に立ち向かっている。自ら陣頭指揮をとり復興を支援し、物故者の冥福を祈っていきたい」と力強く述べた。また被災地を視察したことに話が及ぶと感極まり、声を詰まらせる場面もあった。午後2時46分、大震災発生時刻を知らせる梵鐘が境内に鳴り響くと参列者はそれぞれの思いをのせて静かに合掌し祈りを捧げた。
東日本大震災復興祈念大国祷会
「皆さまと唱えるお題目を集め時代をも動かすエネルギーに」
日蓮聖人棲神の聖地、総本山身延山久遠寺(内野日総法主)では5月5日に東日本大震災復興祈念大国祷会を厳修、内野日総法主猊下が導師を務め、修法導師に井上瑞雄総務、山静教区を中心とした修法師104人が出仕し営まれた。
式には駒野教源総務局長、渡邉義生総長室長をはじめ日蓮宗宗務院関係者や全国から僧侶信徒が多数参列、連休ということもあり多くの参拝者とともに国家の安泰と被災地の早期の復興に向けた祈りを捧げた。本堂に修法師の力強い読経、木剣の音が響き渡り、参列者が一心に唱えるお題目は被災地へ届けとばかりに山内に木霊した。内野法主猊下は家が流され、家族を失い、今までの生活が一変してしまったこの東日本大震災はまさに国難であるとし、この激甚災害に対してはいたたまれない気持ちでどのような言葉も無力に聞こえるかもしれないと述べられ、「ただ皆さまと唱えるお題目を一つに集め時代をも動かす大きなエネルギーにしたい。今、被災地の復興を願って唱えたお題目は必ず届きます」とお話しになられた。井上瑞雄総務はまず犠牲者の冥福、被災地の一日も早い復興を願い、そして『祈祷抄』の一節“法華経の行者の祈りの叶わぬことはあるべからず”を引用し、「必ずや皆さまの祈りは被災地や被災された方々へ届くものと確信している」と力強く謝辞を述べた。
また身延山久遠寺では4月4日、5日に被災地の視察を行い、被災管区宗務所(岩手、宮城、福島、青森)に合計1700万円の義援金を送っている。
2011年5月10日号
佐野市本山妙顕寺で第49世齊藤日軌貫首の晋山式
開創から720有余年の歴史を有する由緒寺院・栃木県佐野市本山妙顕寺で4月13日、第49世の齊藤日軌貫首の晋山式が営まれ、僧侶檀信徒約150人が参列した。
中老僧美濃阿闍梨天目上人が開山された同寺は北関東の名刹の一つ。天目上人の母は熱原法難で知られる熱原神四郎の娘。下野国(現在の栃木県)で布教していたとき、唐沢城主及び家老の若田部源五郎光盛が帰依し一宇を建立したことが同寺のはじまりとされている。
式に先立ち行われた入山行列では同寺の檀信徒のほかに、齊藤貫首の自坊であった北海道富良野市から駆けつけた本要寺の檀信徒とともに、ゆっくりと練り歩いた。
晋山式では法灯継承の証として歴代譜に判を加えた後、仏祖三宝へ奉告文が言上された。式典後、総本山身延山久遠寺総務、全国潮師法縁長でもある井上瑞雄師は、学識豊富で数多の教学論文を発表している功績を称え「伝統ある妙顕寺でもその手腕を発揮し、宗門の興隆に尽力してほしい」と語った。檀信徒からは総代で若田部家の子孫である若田部久吉氏の歓迎の言葉が寄せられた。
齊藤貫首は「この身に余る光栄を生涯忘れることなく、本山の復興、教学を研鑽し、宗祖の願業の一天四海皆帰妙法の実現に邁進していきたい」と決意を述べた。