日蓮宗新聞

2008年7月10日号

日持上人開教及び奥羽二州触頭    法華寺に宗門史跡の指定

北海道松前郡松前町の法華寺(中里観正住職)が「日持上人開教及び奥羽二州触頭 法華寺」として宗門史跡に指定された。北海道内の寺院で宗門史跡の指定を受けるのは今回が初めて。5月22日、中里住職が東京・池上の宗務院を訪れ、小松浄慎宗務総長から指定書が渡された。

法華寺は日持上人が経石を埋めたと伝えられる上ノ国町小堀(松前町と江差町の間に位置)に建立された“法華堂”に始まった。日持上人は日蓮聖人の本弟子・六老僧の一人で、北海道に渡り大陸に向かったと伝えられる海外伝道の始祖。室町時代、日持上人の功績を訪ねて北海道に渡った京都本満寺の日尋上人が、寺院に拡大し現在の松前に移築した。
今回の指定は、法華寺が日蓮宗の北辺布教の基地になり、さらには、松前藩が支配する奥羽二州の日蓮宗を統括していた歴史が理由となった。
■北辺布教の礎
『旧福山事記』によると、日持上人が北海道に渡った永仁元年(1293)から正安元年(1299)頃、松前地方は安藤氏が鎌倉幕府の蝦夷管領として支配、倭人居住地の観閲と懲役業務も行っていた。13世紀、北海道南部と津軽地方には航路交通、交易などの経済的な関係だけでなく、文化上の交流もすすんでおり、安藤氏は北海道を治めるために仏教信仰を導入。日持上人が北海道に渡ったのは、このような歴史的な背景があったとみられる。
日持上人はその後、奥羽・蝦夷の日蓮宗北辺布教の礎を構築し、約700年の北海道日蓮宗寺院発展の流れを継承させた。
■奥羽二州の触頭
大永元年(1521)、日尋上人が法華寺を建立して以後、江戸時代にかけて歴代宗門関係者が渡り、日蓮宗の蝦夷布教の一大拠点を築いた。また法華寺は、松前藩発足と同時に徳川幕府の蝦夷祈願所として庇護を受け、さらに天和2年(1682)奥羽二州の触頭寺院に命じられ、奥羽・蝦夷の統括寺院として宗門行政権の中軸を担った。
日像上人、大覚僧正
■日蓮聖人の古像
法華寺には「元弘元年」(1331)の年紀と「日像(花押)」「大覚僧正」の銘文がある日蓮聖人座像(北海道指定文化財)が安置され信仰を集めている。鎌倉時代造立のこのご尊像は、延文3年(1358)の旱魃の際、備中で法華経弘通の大覚僧正が天皇の命で上洛し祈願したところ雨が降り潤ったとされる像で、明治初期に焼失した法華寺に、大阪府高槻市の正覚寺から北海道開教における法華寺の重要な役割に大きな期待をこめて遷座された。
鎌倉時代末期の作で、銘文がある日蓮聖人木像としては、池上本門寺の日蓮聖人木像(国の重要文化財)についで2番目である。
日持上人を開基とし、北海道を舞台とする日持上人伝の中心として歴史上に足跡を残した法華寺。中里住職は「護持顕彰に奨励するのはもちろん、今後さらなる法華経流布の一大拠点寺院として、宗祖の祖願達成と日持上人の祖意を包含し、住職ほか寺族・檀信徒一同、宗門運動の一翼を担って努力精進していく所存です」と語っている。

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