日蓮宗新聞
2008年1月10日号
日蓮聖人の布教の原点「辻説法」
日蓮宗宗務院伝道部では「立正安国・お題目結縁運動」を意義深く推し進めるため、その一環として日蓮聖人の布教の原点である「辻説法」を、一昨年に引き続き埼玉県川越市で行った。
小春日和の昨年11月12日、伊東隆司伝道局長と各地からかけつけた加藤彰晃師(千葉県徳蔵寺内)、三木大雲師(京都市蓮久寺住職)、鶏内泰寛師(京都市法性寺内)の三師が、“小江戸・川越”と称され年間500万人が訪れる観光の名所に立ち、行き交う人々を前に街頭布教を行った。
当日は、蔵づくり商店街・菓子屋横丁の一角に位置する行傳寺(森田正道住職)のお会式。辻説法の一行は、当地の風物詩となっている唱題行脚に参じた日蓮宗宗立熊谷学寮(小川泰功寮監)の29人と合流し、2時間半にわたり市中にお題目とうちわ太鼓の大音声を響かせ、布教伝道を展開した。
外国人観光客も含めた人々が、辻説法を終え唱題行脚をしながら行傳寺へ向かう一行を追って境内で手を合わせる姿も目立ち、未信徒に対する反響の大きさを示していた。
行脚終了後、行傳寺のお会式法要が伊東局長も参列して営まれ、満堂の檀信徒もみな経本を手に、僧侶檀信徒が一丸となって日蓮聖人へ報恩の誠を捧げた。
2008年1月1日号
ネバダの地をお題目の光で照らす
金井勝海師 新地開教がスタート
米国カリフォルニア州ロサンゼルスの日蓮宗米国別院で布教に尽力してきた金井勝海師がネバダ州での新地開教の命を受け昨年10月14日、主任交代式が行われた。
金井師は昭和39年に開教師として渡米。シアトル日蓮仏教会やソルトレイクなど、米国内各地で日蓮聖人の教えを弘め平成6年、米国別院主任に着任。以来13年間、地道な布教活動を展開してきた。赴任時は建物の維持がやっとだったという別院だが、大本山池上本門寺の協力もあってお題目塔や納骨堂隣接の多目的ホールの建立など、信仰の環境を整備。また当初は30家族余りだった檀徒は100家族以上に増え、さらにサポーター(維持会費は納めなくても法事や寄付、奉仕などをする人)も150家族を数えるなど、金井師の努力で別院は外部からの援助がなくても維持できるまでになった。さらに金井師はここ10年、ネバダ州ラスベガス地区にも布教の範囲を広げ、日蓮宗の教えに興味を示す人々を訪問して家庭集会を開くなどしてきた。
主任交代式は御会式法要の後に行われ、信徒らが見守る中、金井師は後任の井上浄允師(ニューヨーク大聖恩寺前主任)に米国別院の以後を付託。自らはネバダに居を構え「ネバダ日蓮仏教会観音寺」を開創し、長年の希望であった“自分なりの開教”のスタートを切った。以下は金井師からの寄稿である。
◇ ◇
私が開教師としてアメリカの地を踏んだのは、今から43年半前のことです。「いつの日かアメリカにお寺を建てる」―そんな夢を抱いての渡米でした。その夢を実現する時が、やっときたのです。
一昨年末、ネバダ州ラスベガスに一軒家を購入しました。ここが「ネバダ日蓮仏教会観音寺」です。自宅を開放して布教所とするので、日本で言う結社と同じです。アメリカでは住居地区内での宗教活動は公にはできませんので、はじめは口伝えで布教や文化活動をしようと思っています。
大曼荼羅ご本尊は吹抜けのリビングルーム中央に奉っています。内陣は7畳半。ウッドフロアの外陣には椅子が30脚入ります。私が手作りしたご宝前の最上段には日蓮聖人像、一段下脇に屋久杉に彫られた十一面観音像、鬼子母神像、大黒天神像を勧請しています。尊像にはそれぞれの言われがあります。屋久杉で創られた「十一面観世音菩薩」は、日本在住の篤信の方が「金井上人が観音堂を建てるなら!」と5年前に寄付してくださいました。
アメリカで観音信仰は広まりつつあります。私の開教経験からも、一般の人は「日蓮宗」と言うと敬遠しがちで、「観音寺」と言うと入りやすいようです。
ラスベガスは人の出入りの激しい町で、毎月5000人が移住し2000人が出て行くそうです。一般社会では「シン・シティー(邪悪の町)」と呼ばれるラスベガス。この町で、太陽の光が全ての闇を滅するように、人々の悩み苦しみを除くことができる、そんな安息の場「観音寺」にしたいと願っています。そして、邪悪の町に「我此土安穏の仏国土」を顕現できたら素晴らしいではありませんか。
6年後の平成26年には北米開教100周年を迎えます。その年までにはお寺らしき建物を設けようと今から構想を練り、楽しんでいます。
◇ ◇
元旦にはラスベガス郊外のレッドロックキャニオン展望台で初日の出のお参り、さらに観音寺で新年盛運法楽加持を厳修する金井師。昇り来る朝日のように、ネバダの地をお題目の光で照らすことだろう。