日蓮宗新聞

2005年8月1日号

終戦60年を記念して サイパン・テニアンへ慰霊団参

総本山身延山久遠寺(藤井日光法主)は、終戦60周年を記念した法要参拝団を結成し、太平洋戦争激戦地の一つで、3万人以上の兵士が戦死し、多くの民間人が犠牲になったサイパン島とテニアン島を6月21日から25日の日程で訪れ、総勢60人の僧侶・檀信徒が慰霊法要を行った。

パラオ慰霊団と合同慰霊法要

身延山久遠寺では終戦60周年の節目を迎えるにあたり、激戦地で亡くなった多くの兵士と民間人の霊位に回向を捧げることが現代人の責務であると意義付け、昨年から慰霊団参の準備を進めてきた。
また、谷中瑞輪寺(東京都台東区)が中心となって行ってきた「南方諸島慰霊参拝団」も今年で30周年を迎えることから、日蓮宗国際佛教親交会の協力のもと今回の大規模な参拝団が実現した。
21日午前7時半、成田空港で結団式が行われ、団長の井上瑞雄身延山久遠寺総務、国際佛教親交会の吉田文堯副会長、日蓮宗宗務院の栗原正震伝道局長がそれぞれ挨拶した。
22日、サイパン島で朝を迎えた一行は船でテニアン島へ。アメリカ軍の激しい攻撃を受け、多くの民間人が自ら身を投げたスーサイドクリフ(自殺岬)に建つ「太平洋戦没者慰霊平和塔」の前で慰霊供養が行われた。
この供養碑は平成8年に名古屋の篤信者・小川法子さんの発願で建てられたもので、お題目が刻まれている。この地で肉親を亡くした参加者もおり、一心に祈りを捧げる姿が印象的だった。
翌23日、サイパン島マッピー地区にある日本軍最後の司令部跡であるラスト・コマンド・ポストで、身延山参拝団とパラオ慰霊団の合同による「終戦60周年並南方慰霊30周年記念法要」が盛大に執り行われた。
パラオ慰霊団は、東京港区の薬王寺(小林顕浄住職)が主催となりパラオ島で慰霊を行っていたが、この日、サイパン島で身延参拝団と合流。合同の慰霊法要は、日本政府が建てた「中部太平洋戦没の碑」前で進められ、参加者の手で献花・献香が行われた。
導師を勤めた井上団長は「戦没者の方々にご回向を捧げることができて感無量です。しかし供養しきれない英霊・戦没者の方々がまだたくさんおられます。身延山久遠寺は、再度この地を訪れご回向の誠を捧げたいと思っております」と挨拶した。
続いて栗原伝道局長が、「私どもは声を大にして宣言いたします。いかなる理由があろうとも、戦争という手段は認めることはできません。真の平和の大切さを痛感し、彼我の諸霊に心からの追悼と平和の祈りを捧げるものであります」と述べ、最後にマリアナ州政府を代表して参列した北マリアナ連邦知事代理ババウタ秘書官が紹介され、炎天下の中に営まれた慰霊法要を終了した。
その後、太平洋戦争末期に多くの日本人が集団で岬から飛び降りて自決したバンザイ・クリフに移動し、法味を言上。亡き戦没者に供養の誠を捧げ、当地を後にした。
夜の夕食会場で井上団長は「今の日本の繁栄は、戦没者の英霊の方々の礎にあることを肝に銘じ、これからも御回向させていただきたい」と力を込めて語り、参加者もそれぞれの思いを胸に刻んでいる様子だった。(身延山久遠寺布教部記)

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伝師に佐野前暁師

僧侶が厳寒のなか100日間にわたり苦修錬行を行う日蓮宗加行所(大荒行堂)で、修行僧の訓育にあたり加行所を総括する「伝師」。平成17年度加行所の伝師に佐野前暁師(福岡県日蓮聖人銅像護持教会主管)が任命され、6月8日、東京・池上の宗務院で岩間湛正宗務総長から佐野師に辞令が手渡された。
佐野師は「仏と対話し心を磨くことが行。仏と対話しご守護を受けて初めて成満するのです。この100日間が布教の原点です。布教の自信につながるよう、行堂清規の遵守に徹底した教育に努めます」と語っている。
7月4日に辞令が伝達された副伝師は以下の5人。吉野諦光師(神奈川県円妙寺住職)、関英学師(北海道大黒寺住職)、植田観樹師(大阪府真如寺住職)、田口学正師(大分県本光寺住職)、阿部是秀師(岩手県法華寺住職)。

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世界平和を願う祈りと誓い 広島から発信

8月、盛夏を迎えるこの季節は、戦争にまつわるさまざまな記憶が蘇る―。
核の脅威にさらされたヒロシマ・ナガサキ。忌まない、その深い傷跡は戦争体験者の胸の中に刻み込まれている。その幾多の痛みは世界平和が実現する、その日がくるまでは癒えることはない―。
終戦60年を迎える今年、世界平和を願う祈りと誓いが7月8日、広島から発信された。

「終戦60周年追善法要と座談会―ヒロシマ被爆体験の証言」が広島県声明師会(濱田壽教会長)・広島県青年会(鹿内要秀会長)主催、広島県宗務所(渡部康国所長)後援で7月8日、広島市中区本覚寺(所長自坊)で行われた。僧侶・檀信徒あわせて約40人が参加し、平和への思いを新たにした。その後、平和を訴えるための唱題行脚を行い、本覚寺から広島平和記念公園へ出発。原爆供養塔、原爆の子の像、広島平和都市記念碑、それぞれの場所でお題目を唱えた。「広島で生きる僧侶の果たす使命ともいえる」―濱田声明師会会長、鹿内青年会会長は、戦争と平和を考える今回の企画への思いをこう語った。

僧侶・檀信徒40人参加 広島市本覚寺

炎天下のもと唱題行脚も
 終戦60年戦没者追善法要と座談会は本覚寺で行われた。
午前9時半から座談会「キノコ雲の残像・ヒロシマの記憶を継承する」が、渡部公悦師を座長、柴田章延師を司会に行われた。
座談会では、広島市東区の本山國前寺(疋田英親貫首)檀徒の美甘進示氏、広島市中区妙風寺(渡部公悦住職)檀徒の北村冨美枝氏、上田満子氏の3人が当時をふり返り、時には声につまり、目を潤ませながら語った。
追善法要は本堂で濱田壽教師(声明師会会長)を導師に営まれ、戦争被災者への回向を捧げた。
法要後、鹿内要秀青年会長が挨拶に立ち、前席での被爆体験者の話を受けて、「当時は看とりも、葬儀も満足にしてもらえなかった。追善法要では心を込めて回向をさせていただきました。戦争を知らない私たちですが、風化させることなく事実をしっかりと、次の世代へ伝えていきたい」と話した。
その後、炎天下のもと、青年会と声明師会の会員ら13人が本覚寺から原爆ドーム、広島平和記念公園までの約1キロを50分かけて、平和への願いを込めた唱題行脚を行った。広島風物の市電が通り過ぎる大通りでは、大きなお題目の声がビルに反響し、一帯を荘厳にした。
爆心地から近く、被爆当時の面影を残す原爆ドーム前で一行は死没者の回向を行い、力強いお題目で供養を行った。
最後に原爆供養塔の前で回向。この原爆供養塔は、罹災当時、遺体が火葬された場所に建立されており、市内各地の遺骨もあわせ現在約7万柱が納められている。
芝生に覆われ直径約10mの土まんじゅうの形をした原爆供養塔を前に、戦禍の中、命を失い肉親のもとに帰ることが叶わなかった人々に対し、参加者一同、平和の実現を願う祈りを捧げた。
行脚隊は日蓮宗宗務院が発信する、パンフレットを町行く人々に配布。
記念公園では海外からの訪問者も多く、前日7日に起こった、ロンドン同時爆破テロの惨劇への緊迫したムードが漂う中、行脚隊一行は「平和は、あなたの心から生まれる」と呼びかけ、世界平和への心を新たにした。
◇   ◇   ◇
会場となった本覚寺(渡部所長自坊)も原爆によって被災。当時の住職、金川龍洸上人、寺族全員の命が原爆によって奪われた。
本覚寺は9年前、本堂が復興。昨年、信徒会館が完成し、平成の世になって戦争の爪跡を払拭するにいたった。

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