2005年8月1日号
世界平和を願う祈りと誓い 広島から発信
8月、盛夏を迎えるこの季節は、戦争にまつわるさまざまな記憶が蘇る―。
核の脅威にさらされたヒロシマ・ナガサキ。忌まない、その深い傷跡は戦争体験者の胸の中に刻み込まれている。その幾多の痛みは世界平和が実現する、その日がくるまでは癒えることはない―。
終戦60年を迎える今年、世界平和を願う祈りと誓いが7月8日、広島から発信された。
「終戦60周年追善法要と座談会―ヒロシマ被爆体験の証言」が広島県声明師会(濱田壽教会長)・広島県青年会(鹿内要秀会長)主催、広島県宗務所(渡部康国所長)後援で7月8日、広島市中区本覚寺(所長自坊)で行われた。僧侶・檀信徒あわせて約40人が参加し、平和への思いを新たにした。その後、平和を訴えるための唱題行脚を行い、本覚寺から広島平和記念公園へ出発。原爆供養塔、原爆の子の像、広島平和都市記念碑、それぞれの場所でお題目を唱えた。「広島で生きる僧侶の果たす使命ともいえる」―濱田声明師会会長、鹿内青年会会長は、戦争と平和を考える今回の企画への思いをこう語った。
僧侶・檀信徒40人参加 広島市本覚寺
炎天下のもと唱題行脚も
終戦60年戦没者追善法要と座談会は本覚寺で行われた。
午前9時半から座談会「キノコ雲の残像・ヒロシマの記憶を継承する」が、渡部公悦師を座長、柴田章延師を司会に行われた。
座談会では、広島市東区の本山國前寺(疋田英親貫首)檀徒の美甘進示氏、広島市中区妙風寺(渡部公悦住職)檀徒の北村冨美枝氏、上田満子氏の3人が当時をふり返り、時には声につまり、目を潤ませながら語った。
追善法要は本堂で濱田壽教師(声明師会会長)を導師に営まれ、戦争被災者への回向を捧げた。
法要後、鹿内要秀青年会長が挨拶に立ち、前席での被爆体験者の話を受けて、「当時は看とりも、葬儀も満足にしてもらえなかった。追善法要では心を込めて回向をさせていただきました。戦争を知らない私たちですが、風化させることなく事実をしっかりと、次の世代へ伝えていきたい」と話した。
その後、炎天下のもと、青年会と声明師会の会員ら13人が本覚寺から原爆ドーム、広島平和記念公園までの約1キロを50分かけて、平和への願いを込めた唱題行脚を行った。広島風物の市電が通り過ぎる大通りでは、大きなお題目の声がビルに反響し、一帯を荘厳にした。
爆心地から近く、被爆当時の面影を残す原爆ドーム前で一行は死没者の回向を行い、力強いお題目で供養を行った。
最後に原爆供養塔の前で回向。この原爆供養塔は、罹災当時、遺体が火葬された場所に建立されており、市内各地の遺骨もあわせ現在約7万柱が納められている。
芝生に覆われ直径約10mの土まんじゅうの形をした原爆供養塔を前に、戦禍の中、命を失い肉親のもとに帰ることが叶わなかった人々に対し、参加者一同、平和の実現を願う祈りを捧げた。
行脚隊は日蓮宗宗務院が発信する、パンフレットを町行く人々に配布。
記念公園では海外からの訪問者も多く、前日7日に起こった、ロンドン同時爆破テロの惨劇への緊迫したムードが漂う中、行脚隊一行は「平和は、あなたの心から生まれる」と呼びかけ、世界平和への心を新たにした。
◇ ◇ ◇
会場となった本覚寺(渡部所長自坊)も原爆によって被災。当時の住職、金川龍洸上人、寺族全員の命が原爆によって奪われた。
本覚寺は9年前、本堂が復興。昨年、信徒会館が完成し、平成の世になって戦争の爪跡を払拭するにいたった。